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REPORTレポート

北陸道中膝栗毛 第一章(細呂木~橘)下

2020.08.08

というわけでここからは、カスタネット石川です。

↓前回は、カスタネット福井で越前加賀国境一里塚を越えることが出来ました。↓
 

その続きです。




また何かあります。




「北国街道みちしるべ」橘村御使者改番所。

加賀に入って、急に現れました。加賀の観光団体さんがつくってくださったんでしょうか。



この広い土地は梨農園だそうです。




舗装の道に出ました。

さてここから未知です。私はどこへ出るのか。




まさかのゴルフ場でした。




片山津ゴルフクラブ。?片山津ってもっと東のはずでは・・・。


まあ、とにかくここでようやく石川県に入った実感が湧きます。





しかし、旧道は何処・・・。




そんなことを思っていたら、



片山津ゴルフクラブの標の近くに、先ほどの道しるべが。

どうやらこの道しるべ、ところどころにあるようです。本当に道しるべだったのですね。良かったです。





と思った矢先、まさかの立入禁止・・・。旧道なのに・・・。

参りました。まさかのギブアップか・・・?

とにかく、左の普通の道を行きましょう。どこからか合流できないでしょうか。





なにやら森へ入る道が・・・。

果たしてどこに通じるのか、正直全く分かりませんが、さっきの古道方向に延びているようなので、ひょっとしたら・・・?



行くしかないでしょう。





いや、怖すぎでしょう。

覚悟が必要です。




なにやら、たくさんあります。



見事に北陸道に戻ってきました。

やりましたね。





細呂木の道から見た絵。






「橘の宿跡」

由緒書きもありました。701年に宿が開かれてから、一向一揆の戦場になったり、参勤交代の本陣になったり、芭蕉、加賀千代女などの俳人も立ち寄ったとも書いてあります。





銭亀家跡

この墓碑?の後ろ一帯が、銭亀家の屋敷跡だそうです。さっきの由緒書きには、この屋敷の庭園の設計者は親鸞聖人だと書いてありました。





銭亀屋敷跡の前には、水汲坂なるものがあります。下に池があるみたいですが・・・、草や落ち葉で大変なことになっています・・・。






周辺地図があります。

橘宿の地図もあります。こう見ると、あと少しで橘集落につくのですね。

しかし・・・、





今来たクマの出る道は右、細呂木へ通じる道は左、




そして、その先はどうなるのか。まだまだ、続きそうです・・・。

一度離脱しますね。

諸事情なのです。




 

私は、いま、ここにいます。



はい、橘です。北国街道の石標もあります。

諸事情です。


なので、ここから戻ります。挟み撃ちです。



ちゃんと、道しるべもつながっているんですね。




橘集落のメイン通りです。

ここをまっすぐ行きます。



山に入る手前、村の神社があります。




かなり歴史を感じる神社です。




多知波那神社。




社叢。





長い階段。荘厳です。




しかも急です。滑りそう。

でも好き。





狛犬が待ち構えています。




ここにも社標が。




明治四十年八月と書いてあります。









石川神社庁によると...


祭神:天照皇大神
創立年代は明らかでない。明治40年1月21日同字無格社多知波那上社及び同村字奥谷に在った村社多知波那下社の合併を許可され、2月7日之を合祀する。
『参考:石川神社庁』



なるほど、明治四十年の社標もこれを機に建てられたのでしょう。




祠があります。

何の祠かはわからないです。後ろに何か書いてあったのかも・・・。



この神社にはたくさんの狛犬がいます。

階段上にいた狛犬。



いい顔してます。

 

さて、村の神様に挨拶を済ませたので、北陸道を進みます。(というか戻ります)





あの階段の上は、墓地でした。





階段の横に道しるべ、ここは茶屋坂と言います。




地蔵さんが守ってくれます。

こういった旅では、地蔵さんがいると安心しますね。









ほどなくして、見覚えのある場所に到着。

右、銭亀家跡。左、水汲坂。

そう、橘の宿に戻ってきたのです。



正直、橘の宿から橘集落まではそんなに距離なかった。

 


というわけで、橘まで来ました。

諸事情はありましたが、実質、細呂木~橘を歩いたことには間違いないです。

そても素晴らしい旅。学ぶもの。普段考えないことも考える機会になるでしょう。



ここで、北陸道中膝栗毛 細呂木~橘編 終了


 

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